【未来の北杜市の姿とは?】萌木の村株式会社代表取締役 舩木上次様対談

清里を代表する人気店「ROCK」の創業者であり、萌木の村株式会社代表取締役の舩木上次様と対談をさせていただきました。

下記、対談動画の内容を一部編集して掲載致します。

未来の北杜市の姿とは?

(舩木様)それは私が池田さんに聞きたいです。もし、オリジナルの考え方がなければ、いまはAIに聞けばいいです。もし私に、未来の「こうなりたい」というものがあれば、私自身が市長に立候補します。

自分のオリジナルの「こうしたい」がなければ、私はリーダーとしての資質がないと思っています。もし、私に「未来の北杜市の姿」を聞く場合、まずは池田さんの「こうしたい」というものを教えてほしいです。それを訴えるのがリーダーだと、私は思っています。

(池田)改めてよろしくおねがいします。

私が思い描く北杜市の未来像は、「子どもたちが戻ってきたくなる街」と整理をしています。移住や定住、観光客を呼ぶというのは大事ですが、それは結果であります。本当にフォーカスすべきは「子どもたちが育っていく過程で、ここの素晴らしさに気が付き、また自分たちが戻ってきたいと思える街」であること、そう考えています。

また、子供から見て、どんな大人がいれば、どんな高齢者が生活していれば、ここに戻ってきたいと思うか?という視点で街を作っていきたいと思っています。

大人の価値観を変えるとき

(舩木様)子どもが戻ってきたい、子どもが住みたい、って具体的にどういうことですか?

私は大人が価値観を変えていかなくてはいけないと考えています。

産業革命のあと、大人は経済成長、効率性、機能性を求め、お金を価値観の中心においてきました。そして、お金に価値観を置いたために、人と人との間で歪みがでてきました。人間は本来地球上のイチ生命体であるはずなのに、経済的で効率的なものを求めたために、そこについていけない人は追い詰められ、都市と田舎、大企業と一次産業との格差が一気に広がってしまいました。つまり、それぞれ好きな生き方や大事な価値が、一定方向に向いてしまったのです。

(舩木様)あなたにとって大事な価値はなんですか?

(池田)自分が幸せを感じるかどうかは自分次第で、外的要因ではないと考えています。どのようにして「幸せ」の気持ちを強く持つか?環境に感謝してそこに対峙できるか?ということだと、私は考えています。

いま、この時代を生きる

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(舩木様)テレビで、世界中の子どもにアンケート取ったというニュースがありました。

中国では、90%の若者が「未来は今よりよくなる」と回答していました。アメリカは30%前後の若者が同じように回答しました。日本は10%未満しか「未来は今よりよくなる」と回答しませんでした。この違いはどこからくると思いますか?

(池田)1つは教育だと思います。日本の教育はどうあるべきか?政治が介入していいのか?という議論はあると思いますが、私の考えではEdTech(エドテック)と言われる、ICTの活用がカギになると思います。一流と言われる先生がコンテンツを作り、その教材を使用して子どもたちが効率的に学ぶ、そして空いた時間で自分の関心がある分野で探求系の学習をすることで、子どもの自己肯定感を高めると考えます。

(舩木様)私たちは、いまの自分たちがどのようなステージに生かされているかを認識することが必要です。人間誕生して400万年、最初は狩猟民族、農耕民族、産業革命、と時代を経て、今はITの時代と言われます。時代ごとに価値観が変わる中で、ITはルールがないなかで、今度はAIが生まれました。私たちは、この時代にどう対応していけるか、考える必要があります。

例えば、一流大学を出た人は必ずしも必要とされなくなっています。AIが知識として持っているものを元に、AIによって世界が動き始めています。そのような中で、人間はどのようにしてAIと共存していきますか?

五感で感じる力

(舩木様)私は、五感で感じる力を持っている人間を育てることが、この時代に重要だと考えています。例えば、新海誠さんは100年後も通用する作品を作るような方です。田舎の自然とその中で育った人間は感受性が強いと言われています。田舎では、自然と人との潤いが共に混ざり、その街で熟成していく、そしてその熟成を新しい価値として「こんな街に住んでいることを誇りに思う」という感情に発展します。

(池田)確かに、ノーベル賞受賞者の多くが自然豊かな土地で育っているという実績があると聞きます。世界の一流に到達している人は、北杜のような場所で生まれ育ったと思うと、この北杜市の美しさ、自然環境は最優先で守っていかなくてはと思います。

北杜市の自然

(舩木様)多くの人が「北杜の自然は美しい」と言うけど、具体的にどういうことか、理論的に説明できますか?

スイスのアルプス山脈
アメリカのロッキー山脈
ナイアガラの滝
アマゾンの景色
南極の自然

どこがきれいだと思いますか?

「北杜の自然が世界一」という人は、世界を知らない人が井の中の蛙で言っているいるだけだと思います。だから理論武装が必要で、北杜は自然豊か、北杜市は美しい、をなぜ?と共に語ることが必要です。そうでなければブームで終わってしまいます。

生き方には、本物とブームで生きる生き方があると私は考えています。そして、北杜に暮らす人は、本物の生き方をする習慣を作る必要があります。

北杜における「本物の生き方」とは?

(舩木様)まず持っている材料をテーブルに出します。例えば、北杜は水が素晴らしいと言われます。地球には十数のプレートあり、そのうち4つが山梨県でクロスしています。八ヶ岳と白州の水の違いは?八ヶ岳と秩父の水は何が違う?と聞かれた時に、このプレートにより、同じ北杜市の中に水の種類が多種多様あるということが、この街の他と違うところだと分かります。プレートの違いが形状の違いや景観にも表れています。高低差も最高に持っている街とされ、高低差により、多種多様の農産物が作れるのが特徴です。

こうした「原材料(もの)」を、「こと」や「人」と組み合わせることが、私たちには必要とされています。

「原材料」×「こと」「人」=清里フィールドバレエ

(舩木様)例えば、清里フィールドバレエは自然という大道具と満天の星、霧を芸術とコラボレーションさせて作られた作品です。東京で同じことをしようとしても、実現できません。

この街に住んでいれば、そういう「本物」に触れられる、そしてこの街に住むことを誇りに思えます。

萌木の村のナチュラルガーデンの写真を撮っている方がいらっしゃいます。普段私自身も毎日見ている景色ですが、まるで今まで見たこともないような景色を写真にして見せてくれるのです。花と虫、花と水滴。小さなものにフォーカスを当てて、新しい景色を見せてくれる、これがアートだと思います。

北杜に住むほとんどの人は、自分たちの持っている宝物を知りません。外から北杜を見た人のほうが宝物を知っているはずです。

水にしてもそうです。もし宝物だと知っていたら、今頃ここに住む人が日本中に水を売っているはずです。日照時間が日本一と言われたら。私自身は太陽光反対ですが、私が仮に市長だったら、太陽光はここで生まれ育った人や籍がある人にしかやらせないと思います。儲けがあるといわれるなかで、外の人にやらせるのはなぜだと思いますか?大手だからではなく、知恵があるから彼らはやっているのです。もしやるのであれば、地元の人が勉強して、知恵を持ち、やればいいと思うのです。

価値を生むということ

(池田)他と同じ競争の土俵に乗らずとも、強みとして活かせるものがたくさんあるので、それを一人ひとりが認識していくことが大切ということでしょうか。

(舩木様)認識しても、それを一つの作品にしなければいけないです。そこには、クリエイティビティが必要です。リーダーは、皆が見えない新しいことを提案する。最初は受け入れられてもらえないかもしれないけど、それが根付いた時に、ここだけの価値が生まれると思います。九州の一村一品運動がその例です。

一つの作品を生むために

(池田)今考えていたのは、市民が想像できないことを提唱するという人がリーダーに立とうとした時に、どのように民主主義の中で前に推し進めていくか?ということです。

(舩木様)やりたいことをやるのか?市長になるのか?どちらを優先するのか?ということだと思います。やりたいことを優先させるなら、勝ち負けは関係ないはずです。やりたいことを推し進めていけば、継続していれば、いつか「あいつ面白いな」と思ってもらえるはずです。

今の日本では政治家ではなく、政治屋が多すぎる印象です。自分がやりたいことがあり、それがみんなに受け入れられるようになるには、賢い市民を育てる必要があると思います。

一度、立派な市民になり、立派な市民・仲間を増やして、立派な市民が増えた時に新しい街を作っていければいいと私は考えます。

今は、新しい価値を作る、クリエイティブな人が求められています。
「この人!」という人が現れることを期待しています。